ざしを しれる ばしょ

普段語られないざしの、一部

つまり、

愛で動いていると。

 

俺は常々そう思うわけでして。

昨日の仕事はひたすら掃除、掃除、掃除。

時給1060円で数時間に及ぶ、掃除。

掃除自体は得意じゃないけど

仕事となれば選ぶ権利はない。

金になるなら、やるまで。

 

その数時間を経て、帰宅。

まだうっすらと存在する掃除魂が

俺を風呂場に誘導させる。

数ヶ月間 不調だった洗面台。

こいつと、再び向き合う時が来た。

なかなか水が流れず

汚水が溜まるのは日常茶飯事。

どうせ髪の毛が管に絡まってる、と

分かっていたが

手元の薬品じゃ手に負えなかった過去がある。

たまたまその日、彼氏が

強力なパイプユニッシュを買って

既に処置を施してくれていた。

しかし、全く流れないとのこと。

「水流したけど無理やった」 と。

 

洗面台を入念に洗いつつ、水を流し続けて数分

けたたましい「コポッゴボゴボ」という

ソレ が流れたであろう音が聞こえ、

水がサラサラと流れ始めた。

2人で顔を見合わせてよろこんだ。

それはもう、数ヶ月に渡って蓄積された鬱憤が

全て解き放たれた、多大なる喜び。

 

家事は時給が発生しない。

どれだけ綺麗にしてもお金にはならない。

金だけが原動力だった俺は

彼と過ごす家だから、

彼が使う場所だから、

と主語を他者にすることに成功したのだ。

 

それを改めて実感したきっかけは

あろうことか、洗面台の つまり。